”推しくん”とのさようならと元推しの現場。

”推しくん”とのさようならをしてきました。


正しく供養されました。(?)

 

最後の現場ってなぜか良席…

いや前方ではないけど推しくんがよくきてくれる感じの位置でした。

 

 

帰り道はいままでのことを思い返して死ぬほど降りたくなくなり、

前言撤回すると思いきや、家についた瞬間やっぱり降りる…と結論。

理由はやっぱり、推しくんに対してが1割、同担に対してが1割

現場を減らす私が推しくんのことを推しっていうことに対しての気持ちが8割。

 

そんなこんなで手元のチケがほぼなくなりました。

 

そうしたら、なんと元推しの現場が決まりました。

行き先のないわたしはチケット戦争に挑む覚悟で

有料会員になっていきます宜しくお願いします。

 

 

そう、なんだって推しくんを推して生活していたところがあり

何にも予定がなくなっている状況。


なにもないことの不安のほうが勝ってしまいました。

降り先にはならないなあと思いながらもいま

すぐに行きたい現場がない状況であったので仕方ない。(?)

全通する準備だけしようと思う。

 


今回、そろそろだめかもなあって思ってからすぐ友達を招集し、

現場の数減らしたら降りたようなもんかなあっていったら、

 

「状況的にはそうだと思う」っていってくれた友人。
「1回でも入れば降りてはないのでは?」という風にフォローしてくれた友人。

 がいました。ありがとうございました。

 

正直ここはもう個人の感覚かなあと思います。

ただ私の場合は、ですが、、遠征いかなかったり、全通できなくなったり、現場を干してしまったり、がちょっと続きました。

チケットの枚数で推しくんへの気持ちを表していたところがあったのかもしれません。

 

表すものが前よりも減っていく感覚は、

気持ちが減っていく、なくなっていく感覚に感じました。

 

なので、降りるのが結論になりました。

推しくんのことは今でも好きな役者です。

そこはたぶん一生変わらないです。

多分枚公演1回以上は現場に行くと思います。

 

 

割と盲目にやってきたと思います。

前回の記事で良質なファンって書いてて

自分でもよくわからないなあと思いましたが、

お金は落としてきたという自信と実感もありました。

逆に言うとお金だけだったのかなと思います。

 

なんだろう、

会えてうれしいっていうのとかはなくって

売れてほしいとか新しい仕事してほしいとかの気持ちで

だから人気であることを運営にわかってほしくてお金を使うことが増えた。

 

これは前記事の良質なファンでいたかったってのは嘘かもですね。

 

推しくんにはいつまでも俳優でいてほしいっていう私のエゴだし、

いろんな仕事してほしいのも望んでいるか知らないし、

所謂茶の間で推しくんにお金をつかっていない同担の人にチケットをあげてみたり

(生でみたら何か変わるかなあと思って)

ここらへんも私のエゴだったなあ。

 

「好きの気持ちは負けません、でもいけません。」

この人をファンと呼ぶのか、同担と呼ぶのかみたいなのがあると思うのですが、

私は呼べない派の人間です。

 

だけど、私は気持ちのほうがなくて「いきます。買います。」だけの人間になってたのかもしれません。

これってどっちがいいんでしょうか。

 

演技に惚れ込んでいるのは事実です。

そこは最高だし、まだまだ伸びしろもあるって感じます。

だから舞台の上にいることにお金を払ってるだけ。でも、それだけ、なんですよね。

盲目といっても顔とか人間性ではなかったので、うーん。

 

 

元推しの現場に通うことになるとまたきっと病むんでしょう。

でも、推しくんの舞台のチケットを増やすことはなく、

いろいろな現場を挟みつつ安定の現場にいくのでしょう。

 


推しくんももう元推しくんなのか。難しい。
りあこだった元推しの現場で私はどうなるでしょうか。(他人事)

 

それでももう少しだけ

若手俳優のおたくがやりたいんです。