「推し」の概念と重み  

 

 

「推し」とは

 

一推しのメンバーを意味する略語“推しメン”をさらに略したもの。

 

アイドル等のグループ内において、最も応援しているメンバーのことを指す。昔から使われてきた言葉ではあるが、『AKB48』の台頭により、そこまでアイドルに興味を持っていない一般層にも広く知られるようになった。

アイドルに関わらず、アニメやゲーム等のキャラクターについても同様の意味で使われることが多い。

そもそもの語源は推薦する意味の推すであり、転じて他者に勧めることができるほどに好きである様を表している。ゆえにしばしば好きよりも好意度が強い印象を受けることもある。

 

 

引用元:

https://numan.tokyo/words/eGfUZ

 

 

若手俳優、舞台俳優という人たちを好きになっておおよそ15年*1くらい経ちました。

AKBの台頭で認知されたと上記にあったので調べてみたら2005年結成らしいので13年ですか。私としてはその時期推しって言葉を使っていたのか覚えられていないのですが、でもまあ一般用語にはなっているような気がしています。

一般的な意味を引っ張ってきたのはこの界隈の「推し」はきっとそれぞれ思うところがあると思い、広義を持ってまいりました。

 

 

 

私の中の「推し」

 

私がいままで推しですと言ってきた人たちの共通するところ

 

  • お金を払ってでも観たい

→これは私の考えになってしまうけど、「推し無料」好きじゃないです。

無料で生まれるものはないと思っているというか、経済が動いて初めてその舞台が動くので、きちんと芝居や作品や役者にお金を払ってその人を観るかどうかって推しかどうか測るものさしの一つなのかと。無料だったらみたい俳優は好きな俳優かもしれないけど推しじゃない、と思っちゃう。顔がいいとか顔がいいとか顔がいいとかね。

 

 

  • 役ではなく役者、俳優としてほかの芝居をみたい

→もちろん入り口には作品やキャラはあると思いますし、この作品の●●くんを推している人もいると思う。

私の中では「(作品名)の(キャラ)役の(役者)」をみたいというよりも他作品もこの役者を観てみたいと思うのが推しです。作品やキャラや演出のマジックではなく、ほかの出演作、役者自身をみたいかどうか。

なので、出演作はチェックします。

ただ、残念ながら私は、すべての出演作に足を運べていません。

どーーーーーーーーーーーーーーーーしてもだめな演出家がいる関係で、元推しが人質だった作品は1回みてすべて干して以降、チケットを取るのも億劫になりいかなかった作品があって…これはきっと推しよりも優先すべき事項だと体が判断しました。

 

 

 

「茶の間」と「推し活」

 

「(作品名)の(キャラ)役の(役者)」が好きでしっかりとその作品にお金を使っているなら「(作品名)の(キャラ)役の(役者)」推しでいいと思いますが、

ゆーちゅうぶでみました、無料でみたいです、は推しのおたくなのだろうか。

わたしのものさしでは違うのですが推しの意味的にはあっているんだろうなあと眺めています。

時折、茶の間への愚痴をこぼしてしまうのは危機感を覚えているから。

作品がUPされてそれきっかけでのお客さんがいればまだ救いはありますが、ただ垂れ流して浪費する舞台も多いですし、それで作品が消えることも往々にあることを知っているので。人気作もいつまでも人気作じゃないかもしれないですよ。危機感は常に。

 

そもそもチケットが取れないといわれている舞台は本当に少しなので(というか取れないわけがないと思ってますので)その点で、茶の間の皆様とは理解しあえないし、配信でもなんでもいいので運営にお金を落としてから話がはじめられるのでは。

作品がなくなるのは怖いことです。

 

 

「ガッツ」とは

 

 

私は元推しのガッツと言われていました。

前述のとおり、全作品を追ってないときもあったのに。

なぜかというと、

理由は簡単、元推しの現場全通してる人がまぁいなかった。

なので、3作品をそれぞれ1/3くらい通うだけで、同担がわかり、通ってる回数とかがわかりました。とてつもなく暇なときがあって、二作品全通したら、ガッツと呼ばれていました。プレもそんなに頻繁じゃなかったし、通いの作品もあったので推しの人気基準かなと思います。

なので役者さんによってもガッツって違うんだろうなあと思う。

友達の推しくんは全通ループのおたくが大量にいてそれだけでガッツだとかなりいるって聞きました。やばい。私も現推しのガッツさんのことはすごいと思う。

 

 

 

「推しだからいかなければ」

 

ここまで書いて「推し」ってすごい概念だと思う。

茶の間とかDDとか2推しとかいろんな派生もあるので余計に推しという言葉って難しいのかもしれないけど。

私は推しより優先すべき事項はあっていいと思っている。

昔私は推しを中心に自分の人生設計をしていたのですが、最終的には人間としての生き方ということを考えることに至り、いまは日常や生活があって趣味でおたくをしている。

 

なので、推しよりも優先する必要があるものや仕事とか社会的なこととかちゃんと考えられるようになって思う。別に推しが最優先でなくてもいいなあ。推しのためなら!みたいなのは一周回ってなくなってしまった。地方公演や海外公演とかにいくのはいくんだけど推しのためというよりかは私がみたいかどうかに変わった。

 

毎日見たいという公演も自分のためにいってるので支障が出るほどの無理はしないし、あの演出家の舞台には寝にもいけないのでいかない。

推しだから行かなければというのは、0じゃないけど、推しがでているから自分がみたいので行こうという風になってからはそんなに考えることもない。

私が好きなのは役者という仕事をしている推しなのでそこには誠心誠意、対価を払ったうえでエンターテインメントを客として楽しみたい。自分でお金を使うことに関しては、自分で選んで払っていたい。

じゃないといつか降りるときに後悔しそうだと思っている。

 

 

「推しとの距離」

 

私は現推しには認知されてないと信じています。

されると「推しだから行かないと」が加速するのでいまの推しにはいいかな。

元推しはいまでも認知してくれてるっぽい。

それは私がガッツだったからだし、りあこだったからだし、人間同士として(?)彼が私をファンと思ってくれたからだと思う。出席確認今はしていないようですが、する役者だったのと、同担にヲチられてたので、私はいかなければと思ってたところもあって、でもそうなると舞台はつまらなくなった。行かなければならない舞台は楽しめない。

Twitterもあるし接触もイベントも舞台も多いし推す役者によってはいくらでも距離を詰められるけど推しとの距離、私はこれくらいがいいなと思う。

 

 

 

「元推し」

 

自然に離れたつもりだったけど私はこの人に縛られたままだなと思う。

りあこに戻る元気があるわけでも、追いかけるつもりがあるわけでもないけど、現場が入っていないときに元推しの現場があればいくんだと思います。

りあこしてた元推し以外にそのあと推した役者で降りた人はそうでもないんですが、でも結局応援はしてたりするのでスパって降りれるようになりたい。

いっしょうついてきます。 

 

推しという言葉

 

最初に書いた通り、意味はたくさんの中の推しメンってだけなのに

深く考えようと思うといくらでも考えられる。でも考えなくていいのかもしれない。

若手俳優がこんだけいる世界で、推しと出会えたことにだけは感謝したいけど。

 

自分のものさしで推しって決めていい。

好きな俳優を推しっていう人もいれば、ガッツしてようやく推しって認める人もいるし、定義はそれぞれなんだなあとおもうし、くらべるものでもない。

でも一つ言えるのは、「お金を使うことでコンテンツと人が動く」こと。

多量にこれだけ舞台があふれる中で、作品や役者に継続を求めるのには一番重要なことだと思う。

それが自分のため、自分が観たいものであれば。

 

 

 

 

けど、だからこそ

一銭も使ってないクレクレ同担乞食のツイートには返事しないからな。(私怨で後味を悪くする)

*1:15周年おめでとうございます